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店長情報 › 彼の言っている › 2016年06月

2016年06月06日

池田の亥之吉を書いていて



上方は道修町で雑貨商を営む福島屋善兵衛の末娘が、住吉大社へ願が叶ったお礼のお参りをするシーンがあったのだが、ネットには、お賽銭Pretty renew 呃人を投げてはいけない、置くものだと主張する人がたくさんいることを知った。 その人たちは賽銭を投げるという行為を、投げ与えると解釈しいるようだ。 
 大きな神社の初詣を思い出してみよう。 普段の賽銭箱を取っ払らわれ、神社の祭壇の前に広いスペースを開けて、その全てで賽銭受けている。 ここへ賽銭が「置ける」だろうか。
 神社も、賽銭を広範囲に投げ入れて貰うように配慮しているように思える。 賽銭は、神様に与えているものではない。 願をかけて、その思いが叶ったときに、感謝の気持ちを表して神社へ喜捨しているのだと思う。 
 参詣が終ると、銀行員が来て賽銭を数えるのだが、それは至って事務的で、神様のものに触れる恭しさなどはなく、集まった賽銭を、神々降臨して持ち帰られる訳でもない。 これは神社の収入となるもので、そのすべてが非課税でもない。 神社に仕える神職の方々の給料となれば、その方々に所得税が課せられるからだ。 謂わば、集まった賽銭の中に、税金にまわされる部分もあるということだ。
 要は、賽銭をあげる心の問題である。 投げようと、放り込もうと、お参りしている者の感謝の気持ちが、神々への何よりの御供え物である。 

 池田の亥之吉は、前作「佐貫三太郎」のサブヒーローである捨て子の「三太」と知り合って意気投合する。 三太は彼を拾ってくれた恩人でPretty renew 呃人あり、一時は義兄であり、今は師である緒方梅庵こと佐貫三太郎の助手であり、用心棒でもある。 池田の亥之吉は、三太と共に旅をしたいと願うが、梅庵が江戸へもどる時期と、亥之吉の傷が癒える時期がうまく合えばよいのだが…


部屋の中で葉もの野菜が栽培できるグリーンファームという一見すると熱帯魚の水槽みたいな商品を買ってみた。 10月1日に届き、3日の日に説明書を読みながらセットし、付属の菜レタスの種14粒を植えた。 6日には一番乗りの芽が一つ出ていたが、今日も、追っかけがチラホラ芽吹いていた。 
 最初は「お試しセット」として、種。液肥、スポンジ15個が付属していたが、このスポンジは1度栽培する度に交換するらしい。 アマゾンで一枚の値段を確かめると、送料ともで1005円もする。 スーパーで刺身を買ったら底に敷いてあるようなスポンジなのに高すぎる。
 これに1ヶ月の電気代300円と、装置の減価償却費(ちょっと大袈裟だけど)を入れると、この金額で野菜を買ってくれば、1ヶ月では食べきれない程あるなあと思いながら、育つのを楽しみにしている。

 猫爺の連続小説「池田の亥之吉」で、サブタイトルに「膝栗毛」と入れたが、今夜のネプチューンのクイズに出題されていた。 回答者五人中の三人は正解だったが、やはり若い二人が不正解であった。 クイズは、「十返舎一九の東海道中〇〇〇〇〇」で、〇の中に入れる言葉をかな五文字で答えるというもの。 
 答えは「ひざくりげ」で、膝栗毛と書く。 栗毛とは馬のことで、自分の膝を馬の足に例えて、自分で歩いて旅をすることである。 

 ちょっと東海道中膝栗毛に触れてみよう。 弥次郎兵衛の実家は裕福な商家であったが、放蕩が過ぎて借金を作り江戸へ逃げて来た50歳の男色家である。 江戸では妻を娶り油絵を描いて生活していたが、妻に先立たれてしまう。 
 喜多八は弥次郎兵衛馴染みの陰間で やさおとこの三十歳。 商家に奉公したが店の金を使い込み、弥次郎兵衛と共に江戸へ逃げて来て、弥次郎兵衛の居候となる。 弥次郎兵衛の妻の死を機に、喜多八と共にお伊勢参りの旅に出ようと思い立つ。 東街道をPretty renew 呃人伊勢で終わると途中になるので、一応京都見物をして戻るというドタバタ珍道中記である。

 東海道中膝栗毛のような小説が書けたら楽しいだろうなあと思いつつ。  


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